幕末の小笠原

1840年、父島に漂着した「中吉丸」乗組員が見た島民の様子。
(奥州気仙郡三之丞蛮島漂流記より)
1853年、ペリー提督が来航し、石炭貯蔵用地を購入し、「ピール島(父島)植民地政府」を樹立する。
(ペリー提督日本遠征記より)
1861年、幕府は咸臨丸を小笠原に派遣し、島民に領有宣言と開拓を伝える。(小笠原嶋総図より)

大正・昭和

大正15年頃サンゴブームが起こり サンゴ成金が出現した。
昭和初期、船積みを待つカボチャの山。母島沖村の風景。
昭和初期の母島北村集落
  
父島清瀬のクジラ解体場での解体作業。
昭和10年当時の父島大村のメインストリート。当時は多くの商店があった。
昭和16年の父島大村。海岸林と集落内の木々が目立つ。

米軍統治・日本復帰

米軍統治下時代の父島大村のメインストリート。レンガ造りの建物は唯一の商店(BITC) 、カマボコ型の建物は映画館。
BITC= Bonin Island Trading Company
  
米軍統治下時代のラドフォード提督初等学校での授業風景。
昭和43年6月26日、米海軍司令部前の広場で開催された小笠原諸島返還式。

小笠原村平和都市宣言

平和で豊かな自然の中で暮らす我々小笠原村民は、世界中の人々が平和を分かちあえることを願う。

この願いは、小笠原の生い立ちが物語っている。

我々の先人が築いた文化を、歴史的に分断した強制疎開。今なお一般住民の帰島が許されず、遺骨収集もままならぬ玉砕の地硫黄島。

このような地小笠原に生きる者として、戦後五十年を迎えるにあたり、不戦と恒久平和を誓い、豊かな自然を後世に残すために、小笠原村が平和都市であり、また、その使命を全うすることを宣言する。

平成7年8月15日 小笠原村

         
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