位置・気候

硫黄島の地図
硫黄島

火山列島(硫黄列島)は、北硫黄島、硫黄島、南硫黄島の南北に連なる3島から構成され、北緯24度10分~30分の間の富士火山帯上に位置しています。東京から硫黄島までの距離は約1,250km、父島からは約280kmです。
硫黄島は緯度的には、台湾北部より若干南に位置し、気温は海流の関係でほぼ同緯度にある台北市よりも高く、亜熱帯海洋性気候となっています。
年平均気温は24℃で、一日の気温差は大きい時で6℃~7℃です。最高気温は、40℃近い日もあり、6月中旬~10月上旬までは30℃を越える日が多く、一年中で一番寒い2月でも12℃位です。
夏期は短時間で多量の降水量があるスコールが多く、6月~11月の降水量は、12月~翌年5月の降水量の約2倍です。年間降水量は、平均値で約1,200mm、東京の降水量をやや下回っています。
戦前は、各家庭に設けた「天水槽」に雨水を貯え、飲料水として使っていたそうです。
冬は、北東から北西の風が吹き、春から夏にかけては東から南の風が吹きます。年間を通じた平均風速は6m/秒程度です。例年、硫黄島周辺(300海里以内)を通過する台風は年間5~10個程度で、東又は南東から接近し西に抜けるのが通例です。

地形・地質

地形・地質の画像1
地形・地質の画像2

硫黄島の地形は、南西部の摺鉢山を要として北東に広がる扇形の地形を成していて、北東~南西の長さは約8.3km、最も狭い千鳥ヶ浜南部では約800mです。戦前の摺鉢山の標高は167mあったが、現在は隆起により170mになっています。国土地理院の連続観測によると、硫黄島では活発な隆起活動や地殻変動が続いています。島内は地熱が高く、至るところに噴気があり、噴出する火山性ガスにより特有の臭いが立ち込めています。
平成26年10月1日時点の硫黄島の面積は、23.73 km²で、それまで小笠原諸島で一番面積の大きかった父島(23.45 km²)を抜き、一番となりました。
北東部の台地の標高は約110mで中央部を元山といい、付近には硫黄ガスの噴火口があり、戦前にはレモングラスオイルの抽出に活用されていました。住民の大部分はこの元山及びその台地の周辺に居住していました。元山の台地は土丹岩(ドタンガン)と呼ばれる凝灰岩から成り、ノコギリで簡単に切り出すことができ、カンナもかかるほど柔らかく、耐火性もあることからカマドや煙突などに加工されたという、貴重な現地調達石材でした。

地形・地質の画像1
地形・地質の画像2

戦前、東京からの定期船は硫黄島と釜岩の間に錨泊したというが、昭和43年頃から釜岩は砂州で本島と繋がり、その一部となっています。西海岸には、終戦後に米軍が港湾整備のために沈めたコンクリート船が、海底の隆起で水面に露出していて、中には完全に陸に取り込まれている船もあります。

動・植物

動・植物の画像
動・植物の画像2

硫黄島では、動物は天然記念物の小笠原諸島産陸貝の生息やオガサワラオオコウモリ、アカガシラカラスバトが確認されています。また、植物ではタコノキ、シマグワ、ガジュマル、テリハボク、モモタマナ、サイザルアサ、クジャクサボテン(月下美人)等の群落やパパイヤ、パイナップル、バナナ、オレンジ、キダチトウガラシ等の生育が見られ、かつての島民の暮らしを垣間見ることが出来ます。

硫黄島訪島事業

硫黄島訪島事業の画像
硫黄島訪島事業の画像2

東京都では、帰島が叶わない硫黄島旧島民の心情に報いる措置として、年2回(春・秋彼岸)、航空機を利用した日帰りによる墓参を実施してます。しかしながら、限られた時間の中で島内を巡るため、出身集落への里帰りや、当時、軍族として残されて亡くなった島民の所属部隊への墓参もまま ならない中で、慌しく故郷の島を後にせざるを得ない状況となっています。

そこで小笠原村は、旧島民の切実な願いである「ゆとりある墓参と里帰り」を実現するため、平成9年度から年1回(6月)、おがさわら丸をチャーターして硫黄島訪島事業を実施しています。この事業実施に当たっては、中学校の2年生には平和教育と郷土学習の一環として、一般村民には硫黄島は小笠原村の一部であり、戦前は島民の生活があったことを知っていただくため、旧島民と共に参加できる機会を設けています。

遺骨収集帰還

遺骨収集の画像
遺骨収集の画像2

第二次世界大戦の激戦地の硫黄島では、戦後処理問題として遺骨収集という重要な課題が残されています。硫黄島における戦死者の数は、厚生労働省社会・援護局の調査によれば、21,900人です。その多くは、米軍による火炎放射、注水、射撃、手榴弾攻撃により地下壕の最奥部に追い込まれて戦死したと推測されています。

地下壕は全長18kmもあり、壕口も数千箇所あったといわれており、米軍の手により閉鎖された地下壕も多く、内部の遺骨の状況は不明な点が多いのが現状です。
 昭和27年から平成30年度末までに発見・収集された遺骨の数は10,454柱で、全体の半数に過ぎず、未だ多くの遺骨が眠ったままになっています。
 厚生労働省社会・援護局により実施されている硫黄島戦没者遺骨収集には、以前より旧島民も協力を行ってきたが、平成12年度から「小笠原村在住硫黄島旧島民の会」及び「小笠原村」も厚生省派遣団員となり、平成15年度からは、遺骨収集業務の一部を村が受託し、関係機関と連携して遺骨収集を行ってきました。
 平成28年11月からは、「小笠原村在住硫黄島旧島民の会」は戦没者の遺骨収集の推進に関する法律に基づき厚生労働省に指定された、一般社団法人「日本戦没者遺骨収集推進協会」の構成員として遺骨収集を行っています。

緊急患者搬送

緊急患者搬送の画像
緊急患者搬送の画像2

小笠原村で救急患者が発生した場合は、災害派遣要請を受けて海上自衛隊が派遣する航空機により、本土へ搬送されます。現在(令和2年2月)は、海上自衛隊硫黄島航空分遣隊に配備されている救難ヘリコプターにより滑走路を有する硫黄島基地に搬送され、自衛隊又は海上保安庁の飛行機に引き継がれ、本土医療機関へ搬送・収容されます。 なお、救難ヘリコプターによる夜間搬送が、父島は平成13年度から、母島は平成14年度から可能となり、派遣要請から病院への収容までの平均所要時間が短縮されました。

硫黄島の基地

硫黄島の基地の画像
硫黄島の基地の画像2

 昭和43年、小笠原諸島の日本への復帰と同時に、硫黄島では米軍が使用していた滑走路や隊舎等の諸施設が自衛隊に引き継がれました。現在は、「海上自衛隊硫黄島航空基地隊」と「航空自衛隊硫黄島基地隊」等の部隊が駐留しています。基地には2,650m×60mの滑走路が1本あり、トラブルによる主滑走路閉鎖時に離着陸の可能な緊急用滑走路として、幅30mの平行誘導路も整備されています。
 島の隆起活動が激しく港を構築することが出来ないため、生活物資や資機材等の輸送は、航空機、輸送艦、専用タンカー等で行っています。また、硫黄島には河川や地下水がないため、飛行場地区からの雨水を貯水池に集水して利用しています。
●海上自衛隊の概要・任務
【硫黄島航空基地隊】
 航空基地施設の維持及び飛来する飛行機に対する航空管制、気象業務、給油、救難活動を行うほか、航空自衛隊硫黄島基地隊を含めた施設維持管理、隊員の規律統一を行っています。
【第21航空隊硫黄島航空分遣隊】
 小笠原諸島や火山列島周辺海域の救難活動を担っており、救難ヘリコプターによる災害派遣や航空救難、洋上救難活動を行っています。父島、母島等の飛行場がない島の救急患者の搬送を通じて、航空自衛隊と共同してこの地域の医療活動に当たっています。
【硫黄島警務分遣隊】
 部内秩序のための司法警察業務及び保安業務を担っています。
●航空自衛隊の概要・任務
【硫黄島基地隊】
 硫黄島における飛行訓練の支援及び後方支援を主任務としています。また、各航空団等の硫黄島における移動訓練、米軍艦載機の離発着訓練、日米共同訓練等の支援のほか海上自衛隊との協同訓練等を実施しています。
【出典: 防衛省パンフレット「硫黄島」】

 
  
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