概要-OUTLINE

硫黄島

歴史年表

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1543年(天文12年)秋スペイン船「サン・ファン・デ・レトラン号」(船長ベルナルド・デ・ラ・トーレ)により発見される。
1779年(安永8年)11.15 イギリスのジェームズ・クック船長の第3次探検船「レゾリューション号」「ディスカバリ号」に目撃され、「ノース・アイランド」「サルファー・アイランド」「サウス・アイランド」と命名される。
1887年(明治20年)11.10 灯台巡視船明治丸で高崎東京府知事による火山列島を探査が行われる。
1889年(明治22年)6. 硫黄の採掘と漁業を目的に最初の入植が行われる。
1891年(明治24年)9.9 勅令により東京府及び小笠原島庁管下に編入され、北硫黄島、硫黄島、南硫黄島と呼ばれる。
1912年(大正元年)10.1 硫黄島の人口396名、北硫黄島の人口171名。この頃より開墾地の拡大と移住者の増加が進む。
1913年(大正2年)6.15 大正尋常小学校が開校する。児童数56名。
1914年(大正3年)3. 硫黄島に世話掛が設置される。同年、島しょ町村制施行される。北硫黄島は島庁が直轄する。
1940年(昭和15年)4.1 普通町村制により硫黄島村となる。北硫黄島は支庁直轄が継続する
1944年(昭和19年)6〜7 戦争の激化により本土へ疎開が行われる。硫黄島1,004名、北硫黄島90名。硫黄島の青年男子103名は軍属として残留する。
1945年(昭和20年)2.19 硫黄島に米軍が上陸し、国内における最初の陸上戦闘が行われた。3月には日本軍が玉砕し、島民の軍属82名も戦死した。(日本軍20,129名、米軍6,821名が戦死)
1946年(昭和21年)1.29 行政権分離に関する覚書により、火山列島を含む小笠原諸島が連合国施政権下に入る。
1952年(昭和27年)4.28 対日講和条約が発効し米国の施政権下となる。小笠原支庁及び各村役場が廃止される。
1968年(昭和43年)6.26 火山列島を含む小笠原諸島が返還される。小笠原村設置。
1984年(昭和59年)5.31 小笠原諸島振興審議会は「硫黄島は火山活動による異常現象が激しい上、産業の成立条件も厳しく、一般住民の定住は困難」との結論を総理大臣宛の意見具申書にまとめ国土庁長官に提出。
1990年(平成2年)11.9 戦前の島民墓地跡に建設を進めてきた硫黄島島民平和祈念墓地公園の竣工披露が行われる。
1994年(平成6年)2.12 天皇、皇后両陛下が硫黄島に行幸啓される。
1997年(平成9年)6. 小笠原村によるおがさわら丸を使用した硫黄島訪島事業(墓参)が始まる。
2002年(平成14年)3. 硫黄島平和祈念会館完成