北硫黄島:硫黄島
概要

沿岸は一部を除いて断崖で、山峰は北に清水峰(665m)、南に榊ヶ峰(792m)の南北に二分されている。
北硫黄島は、1899年(明治32年)に石野平之丞によって開墾が着手され、1902年(明治35年)には北硫黄島仮学校が開校している。1904年(明治37年)の人口は156人に達している。
1920年(大正9年)、石野平之丞より東大教授に磨製石斧三個が献上され、返還後における遺跡発見の伏線となった。北硫黄島の産業はサトウキビ栽培を主とした農業や、マルサザエ採取(貝ボタンに加工した)、ムロ節の製造などであった。
1944年(昭和19年)の疎開当時には、17世帯90人が居住していたが、戦後は無人となり、昭和43年6月26日以後も無人島となっている。
1991年(平成3年)、東京都の遺跡調査団により、8世紀~15・16世紀頃に残されたと見られる祭壇や墓地跡、石器や土器などの生活用品が発見さ れ、小笠原諸島には、現在に続く発見・定住の歴史以前にも人が住んでいたことが証明された。発見された遺跡や遺物は、明らかに本土の縄文・弥生文化とは異 なっていることから、ミクロネシア文化圏の影響を受けているものと推定されている。このことから、マリアナ諸島~小笠原諸島~伊豆諸島~日本本土への、も う一つの海上文化伝播ルートがあったのではないかという、歴史のロマンをかきたてる、壮大な仮説が浮かびあがっている。